南の島のフィニッシングスクール

もてなしの心の原点

どうやら私が突然加わったことで皿の数も肉の量も不足させてしまったようです。

 ロシアの森林火災によるモスクワのひどいスモッグの状況がニュースとして伝えられてきます。クレムリンや赤の広場がすっぽりと煙に包まれている映像を見ていると、24歳の夏、赤の広場に一人佇んでいたことを思い出しました。
  私の初めての海外旅行はソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)という名の国でした。なぜソ連だったのか?・・・その頃、トルストイの「戦争と平和」やドストエフスキーの「罪と罰」等のロシア文学を夢中になって読んでいました。小さな島国沖縄で生まれ育った私は海のかなたの水平線を見る事はあっても、どこまでも続く大地・地平線を見たことはなかったのです。広い大地のロシアへあこがれていたのです。
  旅は感動の連続でした。なかでもロシア人の家庭を訪ねたことは忘れられません。旅行メンバーの一人であるロシア語の先生に誘われた女性の方が私も一緒に行ってほしいと言うのでついて行きました。そのアパートはとても古いものでした。玄関のドアを開けると目の前に台所と小さな食卓があり、そばには子供用のベッドが置かれています。その狭い居間に比べて隣室の書斎はずいぶんと広かったのですが、それにしても若いとはいえモスクワ大学で教鞭をとっている夫婦と子供二人が住むにはとても狭いと思ったものでした。
  食卓にスープが運ばれてきました。客は私たち3人のほかに隣家の奥様が加わって4人です。「皿が足りないので早く食べてね」と奥さんがご主人に耳打ちをしています。そして肉が各々の皿に分配されました。白い肉と赤い肉でした。どの肉がおいしいかと聞かれ、連れの二人は白い肉が美味しいと答えていましたが、私が「赤い肉が美味しい」と答えるととても嬉しそうに「この鴨肉をご馳走したかったの、でも足りないので鶏肉を足したのよ」とのこと、どうやら私が突然加わったことで皿の数も肉の量も不足させてしまったようです。
  その日の出来事は私が “もてなしの極意は自分の家に招くこと、手作りの料理であるがままにそのままに!” と思うようになったきっかけなのです。

                              琉球新報「南風」欄掲載【2010年8月12日(木)】