南の島のフィニッシングスクール

お辞儀

におじぎは自分では見えないものではあるが、その心は相手に伝わるもの

卒業生の結婚披露宴に出席するのは何回目だろうか。その一つ一つが思い出になっている。 先日も結婚披露宴に招待を受けた。 新郎が福岡県の出身で東京勤務ということもあって、県外からも多くの方々が出席した披露宴は「沖縄・福岡・東京の文化が融合した新しい形の披露宴」と表現した方もいたほどで、私たちにも新鮮に感じられた宴だった。
  その宴の終盤、新郎の友人たちがハッピ姿で整列し「最後は福岡式で私たちが手を入れさせていただきます。一同で手を打ち鳴らして締めた後には、いっさい二人の結婚に対して文句(異義申し立て)を言うことはなりません。ようございますね」と口上を述べたあとシャンシャンと手を打ち鳴らして締めくくった。この手締めは、アァこの娘は結婚したのだ、東京へ行くのだなぁと私に実感させ、淋しい気持ちにもさせたが、若夫婦はまた私を感銘させてもくれた。その一つが二人のお辞儀が美しかったことである。新郎新婦のみせたこれ以上のお辞儀はないという程の深ぶかとした最敬礼は、招待客への感謝の気持ちがにじみ出ていて、美しかったのである。二人はおじぎがこれほどまでに私たちを感動させるものだということをあらためて認識させてくれた。
  私は常々学生達におじぎは自分では見えないものではあるが、その心は相手に伝わるものだと話してきた。この娘はこれを実践してくれていたのだ。 しかしながら、このように人を感動させるような美しいおじぎは一朝一夕にできるものではない。この若夫婦の今までのすべてが表れたものだと思う。彼女たち夫婦が、他を思いやり、大切にし、そして信頼し、敬意を払う。そういう積み重ねをしてきた、それが表れたのだと思う。それはとりもなおさず両家の家庭の風土。言い換えれば家庭の中での躾がしっかりしていたのだと思うのだ。
  人間関係が薄れていく今日では、躾というだけで古臭いと敬遠されがちだが、人間関係のありようを正していく基礎は家庭にあると思うのである。
                              沖縄タイムス「唐獅子」欄掲載(2002年6月25日)