南の島のフィニッシングスクール

人生は夢の実現

生まれてきてよかったと心からいえる人生をおくりたいな

★★命がのこればいい     
崎山 一年間、毎日開講するフィニシングスクールは沖縄はもちろん日本でも初めてとききました。フィッシングと間違えて釣りの大学ができたと喜んだおじさんも多いとか(笑い)。このフィニシングスクールという名称について教えてください。
西大 私たちは女性のための最後の学校、総仕上げの学校といっていますが、今、1年やって巣立つ学生達をみていると、むしろこれから始まるんだ、という気がします。フィニッシングからスタートする、新たな出発のための場所、という感じなんです。

崎山 フィニシングスクールをつくりたいという思いは、いつごろから?
西大 本当に自分のやりたいことは何かな、と考えたとき、若い女性たちに自分が伝えられるものがあれば残したいな、とずっとあたためてはいたんです。5、6年前、料理講座の受講生がスイスのフィニシングスクールの案内書をもっていらした。その方のお嬢さんが一年間そこに留学していて、「成人のためのコースがありますが、どうですか」と私に声をかけてくださったのです。ヨーロッパにそういう学校があるのはしっていましたが、かなりの費用がかかるものなのです。主人に話したら「行ってきなさい」と。

崎山 それはどのようなコースでしょう。
西大 国際的マナーを中心とした内容で、お客様の迎え方、食卓の整え方、テーブルマナー、日本とヨーロッパの文化の違いなど。言葉は通じなくても、教育者としてのネリー校長先生のお人柄は充分に感じられて、ああ、この方に託せば大丈夫だなという安心感がありました。そのとき、いつか自分の学生をこの学校に連れてきたいなと思ったのです。もちろんまだ何も具体的になっていないときですよ。それと、行ってよかったなと思ったのは沖縄のすばらしさを発見できたこと。ヨーロッパの異文化の中で、逆に沖縄を大事にしなきゃとと心から思うようになりました。

崎山 すてきな女性を育てたいという思いが、スイスに行って輪郭がはっきりして、夢の実現へと向かった。でも私など第三者からみると、それまでの料理教室のファンも増えていたし、このまま充分にお仕事を続けられたと思うんですが、それらを投げ打って、この知念村の原野にご自分の夢をつぎこむ。これはすごい冒険というか・・・・。
西大 40歳を過ぎたころから主人と真剣に考えるようになったのは、生まれてきてよかったと心からいえる人生をおくりたいな、ということなんです。やらないよりは、やる人生のほうがいいんじゃないか。やってだめでも、命が残ればいいじゃないの、というくらいの覚悟でね。でも、いちばん大きな理由は私たち夫婦が子供に恵まれなかったということ。とても苦しかったんですが、「あなたはほかにやることがあるんじゃないの」と言われているような気がしたんです。実際にそれまでの家と土地を手離してここで始めようとしたとき、子供がいないからこそ、何も怖いものはない、命が残ればいいんじゃないの、と思いました。

★★感動が勉強
崎山 すばらしい。4年前、西大先生が突然いらして、「私にはこんな夢があります」っていきなり話された。もう少女漫画の瞳キラキラって感じで(笑い)。そのお話をうかがってたいへん心をうたれたんですが、同時に大丈夫かしらって(笑い)思ったんですよ。それから3年たって、間もなく開校というときに、「開校することになりました。つきましたは崎山さん、よろしく」ってお電話がきて、またびっくり。
西大 崎山先生にお声をかけたように、お願いした先生方が何人もいらっしゃるんです。私どもの学校で教えてくださる方は、最高の方じゃなきゃいけないという思いがありましてね。沖縄に暮らす私たちは、ヨーロッパだ東京だと中央志向がありますが、私は地元の沖縄にこそ、どこにも負けないすばらしい先生がいらっしゃるという確信がありました。ただ単に知識や技術があるというのではなく、その方の人生を通して、学生が人間的にも学べる方にお願いしたいと思っていましたから。

崎山 フィニシングスクールというといい妻、いい母になるための学校ととらえられがちだけれど、実際に西大先生たちがやっているのは、行儀作法以前の、人間としてどう豊かにいきるかという部分。授業の内容も、先日はダイビングにチャレンジ、そのまえは陶芸や野菜づくりなど、行動が極めて具体的ですね。
西大 今までの学校教育では、知識をふやすことに重点がおかれ、感性の部分が充分に磨かれていないですよね。私は見るとか聞くとか、実体験による感動を通して心を豊かにしていくことが、長い人生では大切ではないかと、試行錯誤しながら取り組んでいます。今では、行ったことのない所でも、やったことがなくても、テレビ等を通して疑似体験をして、もう知っていると感じることが多い。だから何をみてもすぐに飽きてしまう。感動することが少ないのではないかと思うんです。だから、陶芸も実際に山に入って土を取り出すところからやったんですよ。

崎山 学生たちの話では、一年間 “濃縮ジュース” の毎日で、普通のひとが10年かけて体験することをこの1年でやったようだと。なかでもスイスのフィニシングスクールの体験入学は、とても大きかったようですね。
西大 私が学生たちに教えたかったのは、沖縄で学ぶことが、けっして本場にひけをとらないんだと確信してもらうことと、沖縄のすばらしさを感じてほしいということ。それはわかってもらえたようです。

★★よき師との出会い
崎山 この学校を始めるいちばん大きなきっかけは、亡くなった翁長君代先生ではないかと思うんです。翁長君代先生は料理の分野だけでなく、今、さまざまなジャンルで活躍している多くの女性たちに影響を与えた方。沖縄がかならずしも正しく理解されていなかった時代に、しっかり沖縄の文化をとらえていたすぐれた先輩だと思います。西大先生にとっては、琉球大学時代の恩師で、さらに卒業後は調理師学校の校長として長くおつきあいされた先生ですね。
西大 調理師学校時代に、翁長先生が「私があと10年若かったら、若い娘たちに行儀作法など教えてあげたいね」とおっしゃっていたのが耳に残っていたのかもしれません。先生は、大きな方、けっして負けない人で、自分の思うところにまっすぐ進んでいく強さを持っていました。山形県のお生まれで、地元の人間が気づかない沖縄文化のよさを評価していた。沖縄の料理も、たいへん知恵のある料理だということをはじめて教えてくださったのが翁長先生です。

崎山 今、翁長先生がいらしたら、この学院のこと、どうおっしゃるでしょう。
西大 ああ私、泣いてしまう・・・・。きっと喜んでくださると思います。がんばったねと。いつも見守ってくださっているような気がするんです。

崎山 人生において師との出会いって、とても大きいですね。ところで西大先生は、子供のころはどんなお嬢さんでしたか?
西大 5人兄弟の3番目、女が3人続いて、下に弟が2人います。そうですね、子供のころはボーイッシュで、やんちゃなほうだったかもしれません。理数系が好きだったのですが、姉が家政科に進んだ影響で私も家政科を選びました。

崎山 琉球大学から調理師学校へ。ここで15年間仕事をされていますが、そこからご自分の教室をつくろうと思ったのは?
西大 調理師学校には毎年新しい生徒が入ってきますが、いろいろ事情を抱えた人も多いんです。会社が倒産したとか、アメリカにも留学したけれど自分の進む道が決まらずに、このままではいけないと一大決心をしてきた方、なかには60代の生徒さんもいました。その生徒達をみていると、確実に成長していく。人を育てるには、人が変わるには、1年くらいの年月が必要なんだな。何か新しいことを始めることは、ちっとも怖いことじゃない。すてきなことなんだと、その生徒達が教えてくれたんですよ。そして、いつか自分も生徒と同じようにスタートラインに立つんだ、という気持ちがありました。私の場合、それが40歳という年齢だったんです。

★★人を育てるなら百年の計 
崎山 ご主人のお父様は、沖縄戦のときこの南部でなくなられているんですよね。
西大 はい。摩文仁のほうで、母が壕のなかから水を汲みに出ようとしたのを、身重の母を気遣って父がかわりに出ていって、そのまま帰らなかったと言うんです。それから間もなく母は収容所に入り、うちの主人は7ヶ月の未熟児で生まれました。とても育たないといわれたのが、今こうして生きているのは、ほんとうに運が強かった。それが百名で、この知念村のすぐそばですよね。学院の土地をさがしていたある日、主人の夢にこの場所があらわれたのは、何か見えない力に導かれたというか、この場所を授かったという気がするんです。

崎山 ご主人は、今、一緒にこの学院をきりもりしています。西大先生の人柄をそのまま包み込んで、やりたいことをさせてあげようとしている。とてもいいプロデューサー、最良の理解者ですね。
西大 そうですね。人間は人を育てることで自分も育つんですよね。私たち、子供に恵まれなくて、それを乗り越えようとした時、私は主人を育てるんだ、私は主人に育てていただくんだっていう気持ちでした。

崎山 夢を描くことはできるけれど、それを実際に行動に移すには、ほんとうに大変なエネルギーが必要です。お金を借り、借りたら返さなければならない。夢が大きければ大きいだけ、ひきうける現実の重さも肩にぐっとのしかかる。
西大 この仕事を手がけようとしたときに、主人が「1年の計をたてるなら、稲を植えなさい。10年の計を立てるなら、木を植えなさい。百年の計を立てるなら、人を育てなさい」という中国のことわざをだしたんです。私たちは百年の計を立てたと思っています。私たちが生きている間には、結果は出ないかもしれない。でも、その次の世代に私たちがまいた種が育てばいいって。とくに沖縄は、青少年問題が大きいですよね。これは母親の問題でもある。お母さんをしっかり育てることによって、いい子が育つんじゃないかな、と思いながら・・・・・・。

崎山 私たちはあまりに忙しすぎて、今日、一週間、一ヶ月後の収穫ばかり考えてしまいがちですね。それにしても、西大先生が夢をあきらめなかった、その原動力は?
西大 単純なんです(笑い)。私は歩きながら考えるほうで、ものすごいおっちょこっちょい。ハンドバッグふたつ持ってバス停に立っていたり、別々のイヤリングをして平気でいたり(笑い)。主人は石橋を叩いても渡らないほうで(笑い)

崎山 これは絶妙なくみ合わせですね。さて、夢子さん、さらに大きな夢がありますか。たとえば、1年コースだけでなく、短期、週末コースなどを求める声も多いと聞きますが。
西大 将来は、全寮制の学校にしたいという夢をもっています。もう少し私たちの足腰が強くなったら、短期コースなども考えたいですが、それはもう少しお待ちください。 崎山 たくさんのすてきな女性たちがここから巣立っていくよう、期待しています。

★★ゆんたくのゆんたく★★
西大学院には老若男女、様々な人がやってくる。茶道の好きな小学生、両手にクブシミや魚をもってくる漁師の方、トラックで華を届ける農家の方など、地元との交流は広がるばかり。ゴムまりのようにはずむ好奇心、ひまわりのような明るさで、西大先生は小さな奇蹟をおこしつつある。生徒いわく「ベテランの天使」。私もまた夢にまっすぐでありたいと思う。(崎山律子)